『ジャズ1930年代』に掲載されたレックス・スチュワート(Rex Stewart)の証言によると、ニューヨークに出てきたミュージシャンは、ハーレムで既に名が売れているミュージシャンとの他流試合をすることが定番となっており、そこで彼らを凌ぐ腕を持っていると認められると大きな仕事が回ってきたそうです。
一方で、ニューヨークに出てきて地元のミュージシャンを総嘗めにした者はほとんどおらず、その唯一といってもよい例外がルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の時でした。あまりにも圧倒的な実力があった為、誰も挑戦しようとはせず、皆がルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の演奏を真似ようとしたという話が『ジャズ1930年代』に載っています。そうしなかったのは、ジョニー・ダン(Johnny Dunn)とババー・マイリー(Bubber Miley)くらいだったとされます。
抜きんでた実力があったと評されるルイ・アームストロング(Louis Armstrong)に対して、果敢にも挑戦したトランペット奏者がいたという証言も残っているわけで、今回はこうした挑戦者たちを紹介していきたいと思います。
ジャボ・スミス(Jabbo Smith)
『ジャズ1930年代』によると、ジャボ・スミス(Jabbo Smith)は、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)よりも自分が一枚上手であることを証明しようとチャレンジを繰り返していました。
ある年の復活祭のダンスイベントで、ジャボ・スミス(Jabbo Smith)を擁するチャーリー・ジョンソン(Charlie Johnson)楽団とルイ・アームストロング(Louis Armstrong)をフィーチャーするドン・レッドマン(Don Redman)楽団が同じ会場で演奏するという機会がありました。
最大の人気を誇ったのはルイ・アームストロング(Louis Armstrong)でしたが、ジャボ・スミス(Jabbo Smith)と同郷のサウスカロライナから出てきた客は、ジャボの偉大さを主張して譲らず、賭けをする者も現れたという話なので、相当な盛り上がりだったことでしょう。
2000人程の観客の前で、ジャボ・スミス(Jabbo Smith)は高音を駆使した熱演を繰り広げ、チャーリー・ジョンソン(Charlie Johnson)楽団のステージが終わると、会場からは彼の熱演を称える拍手が沸き起こりました。自身の演奏に満足したジャボ・スミス(Jabbo Smith)は会心の笑みでステージを降り、今度こそは自分が格の違いを見せつけたと得意げにしていたそうです。
その瞬間。向かい側のステージに白いスーツを着たルイ・アームストロングが現れ、最初の音を吹いたのですが、その音が当時としては途轍もない超高音(ハイF)であり、しかも、その音を際限なく鳴らし続けたとのこと。観客ばかりかその場に居合わせたミュージシャンたちが耐え切れずに嘆息を漏らすと、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)は、そのままカデンツァに入り、そのまま1曲目を吹いたそうです。
その日の演奏で、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)は少しも手を緩めずに全ての曲で完璧な熱演を繰り広げ、ジャボ・スミス(Jabbo Smith)を返り討ちにしたのでした。
ジョニー・ダン(Johnny Dunn)
ジョニー・ダン(Johnny Dunn)は、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)がニューヨークに来るまでは、ニューヨークで随一のトランペット奏者の地位にあったとされています。
バーニー・ビガード(Barney Bigard)の証言によると、ジョニー・ダン(Johnny Dunn)がルイ・アームストロング(Louis Armstrong)に絡んだ舞台は、キング・オリヴァー(King Oliver)と共に出演していたリンカーン・ガーデンズ(Lincoln Gardens)とのことなので、これが正しいとすると、シカゴ時代の話になります。
クレオール・ジャズ・バンド(Creole Jazz Band)がステージで演奏をしていると、客の中にいたジョニー・ダン(Johnny Dunn)がステージに上がってきて、ルイに向かって「若いの!トランペットを貸してみろ。吹き方が分かってないようだな」と声をかけるという事態があったそうで、これを聞いていたキング・オリヴァー(King Oliver)がこれに腹を立て、ルイに「やっちまえ」と指示を出したとのこと。これに応じたルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の演奏は凄まじく、彼が吹き終えた時に、皆がジョニー・ダン(Johnny Dunn)の姿を探すと、既にダンは逃げ出した後だったそうです。
この話は、キング・オリヴァー(King Oliver)がバーニー・ビガード(Barney Bigard)に語ったという伝聞で伝わっていることと、そもそも、この時期にジョニー・ダン(Johnny Dunn)がシカゴにいたのか、という点で信憑性が疑われます。
フレディ・ケパード(Freddie Keppard)
ジョニー・ダン(Johnny Dunn)と同じく、フレディ・ケパード(Freddie Keppard)も、この手のエピソードで「やられ役」としてよく登場する被害者です。
リル・アームストロング(Lil Armstrong)の話によると、ルイの演奏がシカゴで評判になった時に、バンドスタンドにフレディ・ケパード(Freddie Keppard)が現れました。暫く演奏を聴いていたフレディ・ケパード(Freddie Keppard)が「そのラッパを貸してみろ」とルイに声をかけ、ルイが自分のトランペットを貸すと、フレディ・ケパード(Freddie Keppard)は素晴らしい熱演を繰り広げ、会場を沸かせたといいます。
会場からの大きな拍手に満足したフレディ・ケパード(Freddie Keppard)がトランペットを返すと、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)は、今度は自分の番とばかりに演奏をはじめたわけですが、これがフレディ・ケパード(Freddie Keppard)の演奏以上に盛り上がり、これ以降、誰もルイに「楽器を貸せ」とは言わなくなったということです。
こうして並べてみると、この手の逸話は、バーニー・ビガード(Barney Bigard)やリル・アームストロング(Lil Armstrong)といった謂わばルイの身内からの証言だったりもするわけで、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の凄さを伝える為の後年の脚色もありそうです。
最後にひとり、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)に勝利したコルネット奏者を紹介したいと思います。
エメット・ハーディ(Emmett Hardy)
わずか22歳で夭折した伝説的な白人コルネット奏者なのですが、エメット・ハーディ(Emmett Hardy)がルイ・アームストロング(Louis Armstrong)に吹き勝ったという話が残されています。
録音が残されていない一方で、ビックス・バイダーベック(Bix Beiderbecke)にも影響を与え、ニューオリンズ・リズム・キングス(New Orleans Rhythm Kings)に参加していた等、とかく神格化されがちな印象のエメット・ハーディ(Emmett Hardy)ですが、ニューオリンズのミュージシャンの証言でルイ・アームストロング(Louis Armstrong)とのコルネットでのセッションがあったと言われています。
Some New Orleans musicians remembered as a musical hightlight of their lives a 1919 cutting contest where, after long and intense struggle, Louis Armstrong conceded to Hardy when he saw blood dripping from Hardy’s horn.
ニューオリンズのミュージシャンの中には、1919年のカッティング・コンテストを覚えており、これを彼らの音楽的なハイライトだと思っている者もいます。長く激しい闘いの末、ハーディーのラッパから血が滴っているのを見て、ルイ・アームストロングがハーディーに勝ちを譲りました。
『Early Jazz Trumpet Legends(Larry Kemp)』(※翻訳は「初期のジャズ」)
このセッションでは、”High Society”が演奏され、この闘いは1時間以上にも及んだと言われています。最後には、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)が自分のコルネットを置いて、「君こそがキングだ」と言ったいう話まで残っていますが、後年、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)自身がこの逸話を否定しています。
こちらは前述の逸話とは逆に、エメット・ハーディー(Emmett Hardy)が神格化された結果、話が誇張して伝わっているのかもしれません。